これはキャンプかキャンプではないか?
根が理系人間からなのか、言葉の定義や枠組みを考えるのが好きでして、キャンプとキャンプじゃないものの境界はどこにあるんだろうか?と考えています。
きっかけはきゃりーぱみゅぱみゅがラジオで言っていたコメント
「キャンプ好きですよ。こないだキャンプしてきたんです!コテージみたいなところにいました。楽しかった!ワールドカップ開催中なんで、みんなでテレビ観ました。」
とラジオで聞いていて、「それはキャンプじゃねえだろ!」と全力で突っ込んでいました。
※ラジオ番組、3:00ごろからキャンプの話
並べて考える
自分のなかでの価値基準、YES NOについて列挙してみます。
- オートキャンプはキャンプなのか? キャンプだ
- コテージ泊はキャンプなのか? キャンプではない
- 大量の燃料、グッズで家のリビングのような空間を作る キャンプではない
- グランピング キャンプではない
- 普段やらない豆を引いてコーヒーを飲む キャンプだ
- 普段やらないパンを焼いてみる キャンプだ
- スマートフォン、モバイルバッテリを使う (微妙なところだが、今はスマホをあえて使わないと、キャンプ道具が増えてしまう)
- 発電機(ジェネレーター)を使う キャンプではない
- 100V電源付きのキャンプサイトを使う キャンプではない
- キャンプ場に水洗トイレがある キャンプではない(だが、必要悪としてあるべき)
- キャンプ場に照明がある キャンプではない
- キャンプ場に水道がある キャンプではない
一つ一つの具体例があれば、キャンプかそうでないかの判断はつくのですが、これらを総称して一言で、区別するとどうなるんでしょうか?悩んでいます。
キャンプの基準、今のところ
まだ納得できる基準はないのですが、今のところ、自分の基準では、サバイバルであることが、キャンプの要件だと考えます。
1.衣食住を自分の持ち物でまかなえること
持ち込みの食料、持ち込みのテントなどで、生活できることが必要です。コテージやグランピングはダメですね。レンタルテントならおまけ、というところです。
2.インフラの供給(電気、水道)が止まっても、生活を継続できること
インフラが無くても、キャンプ期間中は継続できることが必要です。水洗トイレも厳密にはダメですし、照明、水道も無くても大丈夫な状態にするのが、キャンプです。
3.その状態から生活を改善できること
ただ消費・消耗するだけの生活は、キャンプとはいいたくないです。ナイフやノコギリを使って小屋を建ててテントから格上げする。ナタで焚き火用の薪を作る。竹やぶから食器を作る。魚を釣ったり、木の実を集めて食料を増やす。単なる消耗で終わるのではなく、きたときより少しでも持ち物を増やしたり、生活を改善するのがキャンプです。
自分にとってキャンプとは、インフラが無くても生きる準備と修練
まあ、いろいろ書きましたが、きゃりーぱみゅぱみゅが言うように、結局は楽しけりゃそれでいいと思います。
あくまでも自分にとってという意味で、なぜ自分はキャンプをするのか?と考えると、それはインフラが無くなった時にも普通に生きて行けるようにするための準備、修練だと位置づけています。
インフラが壊滅した311を見た自分は、たとえあの出来事が自分のすみかで起こった時にも自分と家族を、普通に生活させられるだけの準備をしておきたいです。それが実際にできるように準備し、訓練し、確認する行為が、キャンプだと思います。
楽しみながら準備と修練、やってます。
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